海外語学留学の新たな展開

人によっては、あのように一クラスに20人も学生がいるのでは話す機会が少ないからしゃべれるようになれない、とか、若いうちならともかく、いい大人にとっては語学クラスは退屈である、といった意見を言う人もいる。 確かに、そういった批判は真実の一端を突いてはいる。
その初めの意見、すなわちクラスの人数が多くてあまりしゃべれない、という点だが、どうしてもよく発言する人というのは出てくる。 たいがいヨーロッパか南米からの学生だ。
彼らは、すでにしゃべれるのである。 しかも早口で、何を言っているのか、私などには聞き取れないことすらある。
リスニングについては、ほぼ完璧にわかっている。 ただ、前置詞や助動詞の使い方といった文法の知識があいまいで、ボキャブラリーも意外に少ないし、発音がまったく自己流、といった弱点をもっている。
しかし、聞けて話せるものだから、どうしても彼らが先に答えてしまうのである。 これに負けないためには、日本人は、「間違えたら恥ずかしい」という意識をまずかなぐり捨てねばならない。
自分から手をあげたくせに間違えたりするのが、日本の学校ではもっとも恥ずかしいことのように思われ、本当はわかっていても、指されたら答える程度にしておくのが賢いというムードがあるが、大きな間違いである。 同じ月謝を払っているのだから何か言わなきゃソン、と思った方がいい。
ただ、そうはいっても、先生の質問自体、推測に頼らないと何をきかれたのかもわからないのだから、仕方がないときもある。 他の人が答える内容を聞いて先生の質問を確認しているから、どうしても遅れてしまうのである。
なお、この方法が取れるのは語学学校止まりである。 大学の授業になると、待っていたら話題が移っていってしまい、永遠に発言のチャンスを得られないであろう。

そして、はたして語学学校の授業内容が、オトナの知的好奇心を満たすものであるか、という点だが、私がコロンビアの英語学校でよかったと思うのは、まさにこのことだった。 当たりはずれはあるだろうが、私が入ったクラスでは、興味深いテーマをずっと取りあげてくれた。
たとえば、性や人種による差別をどう考えるか。 大学の授業は一般教養と専門知識のどちらを重視すべきか。
他にも、ファーストレディ、アメリカン・ドリーム、民族と味覚、生命の起源をめぐる論争etc・・・これらを、いろいろな国から集まってきた、年齢層もさまざまのクラスメートと討論するのは、十分に「知的刺激」のある内容である。 しかも、ただ意見を述べ合うのではなく、教材の中で、そのテーマについて現在アメリカではこのような主張が戦わ切れている、という基礎知識を学ぶわけであるから、これはその後、大学の友人たちや一般の大人の人々と話をしていく上で、たいへん役に立った。
アメリカ社会である程度の立場にある人々なら当然、高校やアンダーグラデュエイトまでの段階で身に着けているはずの知識や教養を補ってくれるのである。 ファーストレディ像に見るアメリカ人の女性観いくつか例をあげてみよう。
まず、「ファーストレディ」について。 最初にJ・Kが死去したころの雑誌記事を読み、彼女のインタビューテープを聞く。
「J」は死してなお、一種の偶像としてアメリカ人に、ケネディの古きよき時代を想起させ、可愛らしい女性の代表のような存在であったことを、ここで世界から集まった学生たちが知識として共有した。 そして次に、「FDR」ことF・Rの夫人、E・Rについて学習する。

彼女がラジオで演説したテープも聞いた。 冷戦の最中であるのに、彼女は体制の相違で対立する危険と愚かさを説き、人類の幸福という目標を語っていた。
感想を述べ合ったあと、クラスでは、先の二人の、それぞれに存在感の傑出した、しかしまったく逆のタイプと言ってよいファーストレディ像について、討論を展開するのである。 旬の話題はもちろん、H・Cである。
面白かったのは、Hが「女性の反感を買っている」と日本には伝えられていたが、ALPの女性の先生たちはみなHの活躍を好ましく見ていたことだった。 そのうち、HがE・Rトのイベントに必ず出席したり、スピーチにEの功績や言葉をよく引用したりしているニュースがどんどん飛び込んできた。
「大統領の奥さん」であっても政治的なメッセージやパワーを発揮しうるのだ。 事実、Eという立派な先輩がいるではないか、というHの心の中の声がはっきり聞こえてくるようになったのである。
なおEも、夫Fの不貞を知って大いに傷つき、自らの政治活動に逼進したという経歴をもっている。 この点について、Hはどこまで自分とEを重ね合わせているのだろうかと、チラリと思った。
また、学生たち自身の国の「ファーストレディ」についても発表し合った。 面白かったのは韓国の話で、独裁体制の権化と思われていたT大統領の夫人が、史上もっとも国民に人気があったということだった。
その点を、なぜか、ときいたら、夫が専制的であったがゆえに、いっそう彼女は国民をなだめる役割を負い、優しい慈母の面を強く印象付けた、というような話をしてくれた。 一方、着るものが派手だったりすると人気がなくなるのは、日韓の「ファーストレディ評」でまったく共通していた。
「ニューヨーク考」も、ALPで取りあげた面白いテーマの1つだった。 ニューョークの、華やかさ、個人の孤独さ、危うき、刺激などを物語る歌をたくさん聞いたりした後、「さて、ニューヨークの人って、『思いやり』あると思う?」というテーマで話した。
私は常識的に「NC」で論陣を張った。 本当に、マンハッタンに一歩踏み入れれば、ボヤボヤしているとひどい目に遭いそうな緊張感を肌で感じるはずだ。

「ジェイ・ウォーク」と呼ばれる信号無視など、自己責任の範囲内で、歩行者にはあたり前のこと。 混んだ車内で脚は投げ出すし、ボリボリ物は食べるし、みなが自分勝手で、他人の都合なんかどうでもいい、といった雰囲気。
いちいち気にする繊細な神経をもっていたら、とても生きていけない感じがしてくる。 ところが、「いや、ニューヨーカーは他人への思いやりに満ちている。
ただ、表現の仕方が普通とは違う場合があるのだ」という説もある。 たとえば、授業の教材の雑誌記事に載っていたのは、知り合いとばったり出会っても、向こうのプライベートな都合を考えて、あえて気づかなかったふりをする、という気配りである。
非常に都会的な人間関係をお互いが意識しているということだろう。 確かに、お互い自立した他人であることを前提としたマナーには、見習うべきことが多い。
つまり、これは裏を返せば、まったく見ず知らずの人にでも自然にやさしくできる、ということなのである。 実際、町中での助け合いの光景は、東京などよりずっと頻繁に目にした。
地下鉄の入り口の階段で、ベビーカーを押している人を、すぐに誰かが手助けして一緒に運んであげたりしているし、妊婦もよく席を譲られている。 ビルのドアなどは(これがまた、すごく重いのが多いのだが)必ず先に通った人がうしろを見て、次の人がいれば押さえているのは当然のこと。
そういう公共のマナーについては、日本に戻ってくると、わが国の「後進性」に改めて気づくことがある。 特に、ニューヨークのバスというのは、運行のスタイル自体が、弱者に配慮されている。

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